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夏目漱石 こころ(上)

[#2字下げ]上 先生と私[#「上 先生と私」は大見出し]

[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]

 私《わたくし》はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚《はば》かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執《と》っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字《かしらもじ》などはとても使う気にならない。

 私が先生と知り合いになったのは鎌倉《かまくら》である。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書《はがき》を受け取ったので、私は多少の金を工面《くめん》して、出掛ける事にした。私は金の工面に二《に》、三日《さんち》を費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経《た》たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧《すす》まない結婚を強《し》いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心《かんじん》の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固《もと》より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。

 学校の授業が始まるにはまだ大分《だいぶ》日数《ひかず》があるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留《と》まる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子《むすこ》で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人《ひとり》ぼっちになった私は別に恰好《かっこう》な宿を探す面倒ももたなかったのである。

 宿は鎌倉でも辺鄙《へんぴ》な方角にあった。玉突《たまつ》きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷《なわて》を一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。

 私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻《くす》ぶり返った藁葺《わらぶき》の間《あいだ》を通り抜けて磯《いそ》へ下りると、この辺《へん》にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯《せんとう》のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑《にぎ》やかな景色の中に裹《つつ》まれて、砂の上に寝《ね》そべってみたり、膝頭《ひざがしら》を波に打たしてそこいらを跳《は》ね廻《まわ》るのは愉快であった。

 私は実に先生をこの雑沓《ざっとう》の間《あいだ》に見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋《かけぢゃや》が二軒あった。私はふとした機会《はずみ》からその一軒の方に行き慣《な》れていた。長谷辺《はせへん》に大きな別荘を構えている人と違って、各自《めいめい》に専有の着換場《きがえば》を拵《こしら》えていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風《ふう》なものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外《ほか》に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹《しお》はゆい身体《からだ》を清めたり、ここへ帽子や傘《かさ》を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切《いっさい》を脱《ぬ》ぎ棄《す》てる事にしていた。

[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]

 私《わたくし》がその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時反対に濡《ぬ》れた身体《からだ》を風に吹かして水から上がって来た。二人の間《あいだ》には目を遮《さえぎ》る幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫《ほうまん》であったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴《つ》れていたからである。

 その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否《いな》や、すぐ私の注意を惹《ひ》いた。純粋の日本の浴衣《ゆかた》を着ていた彼は、それを床几《しょうぎ》の上にすぽりと放《ほう》り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿《は》く猿股《さるまた》一つの外《ほか》何物も肌に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井《ゆい》が浜《はま》まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺《なが》めていた。私の尻《しり》をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍《わき》がホテルの裏口になっていたので、私の凝《じっ》としている間《あいだ》に、大分《だいぶ》多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股《もも》は出していなかった。女は殊更《ことさら》肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製《ゴムせい》の頭巾《ずきん》を被《かぶ》って、海老茶《えびちゃ》や紺《こん》や藍《あい》の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼《め》には、猿股一つで済まして皆《みん》なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。

 彼はやがて自分の傍《わき》を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言《ひとこと》二言《ふたこと》何《なに》かいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭《てぬぐい》を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。

 私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿《うしろすがた》を見守っていた。すると彼らは真直《まっすぐ》に波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅《とおあさ》の磯近《いそちか》くにわいわい騒いでいる多人数《たにんず》の間《あいだ》を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体《からだ》を拭《ふ》いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。

 彼らの出て行った後《あと》、私はやはり元の床几《しょうぎ》に腰をおろして烟草《タバコ》を吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想《おも》い出せずにしまった。

 その時の私は屈托《くったく》がないというよりむしろ無聊《ぶりょう》に苦しんでいた。それで翌日《あくるひ》もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋《かけぢゃや》まで出かけてみた。すると西洋人は来ないで先生一人|麦藁帽《むぎわらぼう》を被《かぶ》ってやって来た。先生は眼鏡《めがね》をとって台の上に置いて、すぐ手拭《てぬぐい》で頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日《きのう》のように騒がしい浴客《よくかく》の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後《あと》が追い掛けたくなった。私は浅い水を頭の上まで跳《はね》かして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標《めじるし》に抜手《ぬきで》を切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線《こせん》を描《えが》いて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それで私の目的はついに達せられなかった。私が陸《おか》へ上がって雫《しずく》の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。

[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]

 私《わたくし》は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶《あいさつ》をする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくら賑《にぎ》やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た西洋人はその後《ご》まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。

 或《あ》る時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所に脱《ぬ》ぎ棄《す》てた浴衣《ゆかた》を着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すために、後ろ向きになって、浴衣を二、三度|振《ふる》った。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間《すきま》から下へ落ちた。先生は白絣《しろがすり》の上へ兵児帯《へこおび》を締めてから、眼鏡の失《な》くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛《こしかけ》の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。

 次の日私は先生の後《あと》につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二|丁《ちょう》ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼《あお》い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外《ほか》になかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充《み》ちた筋肉を動かして海の中で躍《おど》り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已《や》めて仰向けになったまま浪《なみ》の上に寝た。私もその真似《まね》をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。

 しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促した。比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかった。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快く答えた。そうして二人でまた元の路《みち》を浜辺へ引き返した。

 私はこれから先生と懇意になった。しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかった。

 それから中《なか》二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。先生と掛茶屋《かけぢゃや》で出会った時、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分《だいぶ》長くここにいるつもりですか」と聞いた。考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」と答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極《きま》りが悪くなった。「先生は?」と聞き返さずにはいられなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。

 私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内《けいだい》にある別荘のような建物であった。そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解《わか》った。私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖《くちくせ》だといって弁解した。私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉《かまくら》にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際《つきあい》をもたないのに、そういう外国人と近付《ちかづ》きになったのは不思議だといったりした。私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時|暗《あん》に相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟《ちんぎん》したあとで、「どうも君の顔には見覚《みおぼ》えがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。

[#5字下げ]四[#「四」は中見出し]

 私《わたくし》は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々お宅《たく》へ伺っても宜《よ》ござんすか」と聞いた。先生は単簡《たんかん》にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少し濃《こまや》かな言葉を予期して掛《かか》ったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷《いた》めた。

 私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺《うご》かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解《わか》らなかった。それが先生の亡くなった今日《こんにち》になって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気《そっけ》ない挨拶《あいさつ》や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷《いた》ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止《よ》せという警告を与えたのである。他《ひと》の懐かしみに応じない先生は、他《ひと》を軽蔑《けいべつ》する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。

 私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数《ひかず》があるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日と経《た》つうちに、鎌倉《かまくら》にいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に彩《いろど》られる大都会の空気が、記憶の復活に伴う強い刺戟《しげき》と共に、濃く私の心を染め付けた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。

 授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛《たる》みができてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室《へや》の中を見廻《みまわ》した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私はまた先生に会いたくなった。

 始めて先生の宅《うち》を訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。晴れた空が身に沁《し》み込むように感ぜられる好《い》い日和《ひより》であった。その日も先生は留守であった。鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵《たいてい》宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由《わけ》もない不満をどこかに感じた。私はすぐ玄関先を去らなかった。下女《げじょ》の顔を見て少し躊躇《ちゅうちょ》してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまた内《うち》へはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。

 私はその人から鄭寧《ていねい》に先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷《ぞうしがや》の墓地にある或《あ》る仏へ花を手向《たむ》けに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈《えしゃく》して外へ出た。賑《にぎや》かな町の方へ一|丁《ちょう》ほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐ踵《きびす》を回《めぐ》らした。

[#5字下げ]五[#「五」は中見出し]

 私《わたくし》は墓地の手前にある苗畠《なえばたけ》の左側からはいって、両方に楓《かえで》を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端《はず》れに見える茶店《ちゃみせ》の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡《めがね》の縁《ふち》が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。

「どうして……、どうして……」

 先生は同じ言葉を二|遍《へん》繰り返した。その言葉は森閑《しんかん》とした昼の中《うち》に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応《こた》えられなくなった。

「私の後《あと》を跟《つ》けて来たのですか。どうして……」

 先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中《うち》には判然《はっきり》いえないような一種の曇りがあった。

 私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。

「誰《だれ》の墓へ参りに行ったか、妻《さい》がその人の名をいいましたか」

「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」

「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」

 先生はようやく得心《とくしん》したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解《わか》らなかった。

 先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々《イサベラなになに》の墓だの、神僕《しんぼく》ロギンの墓だのという傍《かたわら》に、一切衆生悉有仏生《いっさいしゅじょうしつうぶっしょう》と書いた塔婆《とうば》などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫《ほ》り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。

 先生はこれらの墓標が現わす人種々《ひとさまざま》の様式に対して、私ほどに滑稽《こっけい》もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石《はかいし》だの細長い御影《みかげ》の碑《ひ》だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目《まじめ》に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。

 墓地の区切り目に、大きな銀杏《いちょう》が一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高い梢《こずえ》を見上げて、「もう少しすると、綺麗《きれい》ですよ。この木がすっかり黄葉《こうよう》して、ここいらの地面は金色《きんいろ》の落葉で埋《うず》まるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。

 向うの方で凸凹《でこぼこ》の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬《くわ》の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。

 これからどこへ行くという目的《あて》のない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数を利《き》かなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。

「すぐお宅《たく》へお帰りですか」

「ええ別に寄る所もありませんから」

 二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。

「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。

「いいえ」

「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」

「いいえ」

 先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一|町《ちょう》ほど歩いた後《あと》で、先生が不意にそこへ戻って来た。

「あすこには私の友達の墓があるんです」

「お友達のお墓へ毎月《まいげつ》お参りをなさるんですか」

「そうです」

 先生はその日これ以外を語らなかった。

[#5字下げ]六[#「六」は中見出し]

 私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数《どすう》が重なるにつれて、私はますます繁《しげ》く先生の玄関へ足を運んだ。

 けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶《あいさつ》をした時も、懇意になったその後《のち》も、あまり変りはなかった。先生は何時《いつ》も静かであった。ある時は静か過ぎて淋《さび》しいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後《のち》になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿《ばか》げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉《うれ》しく思っている。人間を愛し得《う》る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐《ふところ》に入《い》ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。

 今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影が射《さ》すように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその曇りを先生の眉間《みけん》に認めたのは、雑司ヶ谷《ぞうしがや》の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一時の結滞《けったい》に過ぎなかった。私の心は五分と経《た》たないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春《こはる》の尽きるに間《ま》のない或《あ》る晩の事であった。

 先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏《いちょう》の大樹《たいじゅ》を眼《め》の前に想《おも》い浮かべた。勘定してみると、先生が毎月例《まいげつれい》として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。その三日目は私の課業が午《ひる》で終《お》える楽な日であった。私は先生に向かってこういった。

「先生|雑司ヶ谷《ぞうしがや》の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」

「まだ空坊主《からぼうず》にはならないでしょう」

 先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうしてそこからしばし眼を離さなかった。私はすぐいった。

「今度お墓参《はかまい》りにいらっしゃる時にお伴《とも》をしても宜《よ》ござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」

「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」

「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好《い》いじゃありませんか」

 先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、どこまでも墓参《ぼさん》と散歩を切り離そうとする風《ふう》に見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、いかにも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。

「じゃお墓参りでも好《い》いからいっしょに伴《つ》れて行って下さい。私もお墓参りをしますから」

 実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。すると先生の眉《まゆ》がちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪《けんお》とも畏怖《いふ》とも片付けられない微《かす》かな不安らしいものであった。私は忽《たちま》ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。

「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他《ひと》といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻《さい》さえまだ伴れて行った事がないのです」

[#5字下げ]七[#「七」は中見出し]

 私《わたくし》は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅《うち》へ出入《でい》りをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊《たっと》むべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際《つきあい》ができたのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋《つな》ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだから尊《たっと》いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼《まなこ》で研究されるのを絶えず恐れていたのである。

 私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅《うち》へ行くようになった。私の足が段々|繁《しげ》くなった時のある日、先生は突然私に向かって聞いた。

「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」

「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔《じゃま》なんですか」

「邪魔だとはいいません」

 なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。私は先生の交際の範囲の極《きわ》めて狭い事を知っていた。先生の元の同級生などで、その頃《ころ》東京にいるものはほとんど二人か三人しかないという事も知っていた。先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆《みん》な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。

「私は淋《さび》しい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」

「そりゃまたなぜです」

 私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳《いくつ》ですか」といった。

 この問答は私にとってすこぶる不得要領《ふとくようりょう》のものであったが、私はその時|底《そこ》まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経《た》たないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否《いな》や笑い出した。

「また来ましたね」といった。

「ええ来ました」といって自分も笑った。

 私は外《ほか》の人からこういわれたらきっと癪《しゃく》に触《さわ》ったろうと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。

「私は淋《さび》しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打《ぶ》つかりたいのでしょう……」

「私はちっとも淋《さむ》しくはありません」

「若いうちほど淋《さむ》しいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅《うち》へ来るのですか」

 ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。

「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋《さび》しい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元《ねもと》から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外《ほか》の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」

 先生はこういって淋しい笑い方をした。

[#5字下げ]八[#「八」は中見出し]

 幸《さいわ》いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私《わたくし》は、この予言の中《うち》に含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内《うち》いつの間にか先生の食卓で飯《めし》を食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利《き》かなければならないようになった。

 普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇からいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。それが源因《げんいん》かどうかは疑問だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。

 これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れない。しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取り除《の》ければ、つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美しいという外《ほか》に何の感じも残っていない。

 ある時私は先生の宅《うち》で酒を飲まされた。その時奥さんが出て来て傍《そば》で酌《しゃく》をしてくれた。先生はいつもより愉快そうに見えた。奥さんに「お前も一つお上がり」といって、自分の呑《の》み干した盃《さかずき》を差した。奥さんは「私は……」と辞退しかけた後《あと》、迷惑そうにそれを受け取った。奥さんは綺麗《きれい》な眉《まゆ》を寄せて、私の半分ばかり注《つ》いで上げた盃を、唇の先へ持って行った。奥さんと先生の間に下《しも》のような会話が始まった。

「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多《めった》にないのにね」

「お前は嫌《きら》いだからさ。しかし稀《たま》には飲むといいよ。好《い》い心持になるよ」

「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ご愉快《ゆかい》そうね、少しご酒《しゅ》を召し上がると」

「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」

「今夜はいかがです」

「今夜は好《い》い心持だね」

「これから毎晩少しずつ召し上がると宜《よ》ござんすよ」

「そうはいかない」

「召し上がって下さいよ。その方が淋《さむ》しくなくって好いから」

 先生の宅《うち》は夫婦と下女《げじょ》だけであった。行くたびに大抵《たいてい》はひそりとしていた。高い笑い声などの聞こえる試しはまるでなかった。或《あ》る時《とき》は宅の中にいるものは先生と私だけのような気がした。

「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅《うるさ》いもののように考えていた。

「一人|貰《もら》ってやろうか」と先生がいった。

「貰《もらい》ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。

「子供はいつまで経《た》ったってできっこないよ」と先生がいった。

 奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。

[#5字下げ]九[#「九」は中見出し]

 私《わたくし》の知る限り先生と奥さんとは、仲の好《い》い夫婦の一対《いっつい》であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論|解《わか》らなかったけれども、座敷で私と対坐《たいざ》している時、先生は何かのついでに、下女《げじょ》を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静《しず》といった)。先生は「おい静」といつでも襖《ふすま》の方を振り向いた。その呼びかたが私には優《やさ》しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚《はなは》だ素直であった。ときたまご馳走《ちそう》になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間《あいだ》に描《えが》き出されるようであった。

 先生は時々奥さんを伴《つ》れて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根《はこね》から貰った絵端書《えはがき》をまだ持っている。日光《にっこう》へ行った時は紅葉《もみじ》の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。

 当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆《いさか》いらしかった。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子《こうし》の前に立っていた私の耳にその言逆《いさか》いの調子だけはほぼ分った。そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音《おん》なので、誰だか判然《はっきり》しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。

 妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物を読んでも呑《の》み込む能力を失ってしまった。約一時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私は驚いて窓を開けた。先生は散歩しようといって、下から私を誘った。先刻《さっき》帯の間へ包《くる》んだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであった。私は帰ったなりまだ袴《はかま》を着けていた。私はそれなりすぐ表へ出た。

 その晩私は先生といっしょに麦酒《ビール》を飲んだ。先生は元来酒量に乏しい人であった。ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。

「今日は駄目《だめ》です」といって先生は苦笑した。

「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。

 私の腹の中には始終|先刻《さっき》の事が引《ひ》っ懸《かか》っていた。肴《さかな》の骨が咽喉《のど》に刺さった時のように、私は苦しんだ。打ち明けてみようかと考えたり、止《よ》した方が好《よ》かろうかと思い直したりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。

「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。「実は私も少し変なのですよ。君に分りますか」

 私は何の答えもし得なかった。

「実は先刻《さっき》妻《さい》と少し喧嘩《けんか》をしてね。それで下《くだ》らない神経を昂奮《こうふん》させてしまったんです」と先生がまたいった。

「どうして……」

 私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。

「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」

「どんなに先生を誤解なさるんですか」

 先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。

「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」

 先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。

[#5字下げ]十[#「十」は中見出し]

 二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一|丁《ちょう》も二丁もつづいた。その後《あと》で突然先生が口を利《き》き出した。

「悪い事をした。怒って出たから妻《さい》はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀《かわい》そうなものですね。私《わたくし》の妻などは私より外《ほか》にまるで頼りにするものがないんだから」

 先生の言葉はちょっとそこで途切《とぎ》れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。

「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽《こっけい》だが。君、私は君の眼にどう映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」

「中位《ちゅうぐらい》に見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。

 先生の宅《うち》へ帰るには私の下宿のつい傍《そば》を通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。「ついでにお宅《たく》の前までお伴《とも》しましょうか」といった。先生は忽《たちま》ち手で私を遮《さえぎ》った。

「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君《さいくん》のために」

 先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はその後《ご》も長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。

 先生と奥さんの間に起った波瀾《はらん》が、大したものでない事はこれでも解《わか》った。それがまた滅多《めった》に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入《でい》りをして来た私にはほぼ推察ができた。それどころか先生はある時こんな感想すら私に洩《も》らした。

「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻《さい》以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対《いっつい》であるべきはずです」

 私は今前後の行《ゆ》き掛《がか》りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然《はっきり》いう事ができない。けれども先生の態度の真面目《まじめ》であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中《うち》で疑《うたぐ》らざるを得なかった。けれどもその疑いは一時限りどこかへ葬《ほうむ》られてしまった。

 私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人|差向《さしむか》いで話をする機会に出合った。先生はその日|横浜《よこはま》を出帆《しゅっぱん》する汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋《しんばし》へ送りに行って留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃《ころ》の習慣であった。私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義《れいぎ》としてその日突然起った出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。

[#5字下げ]十一[#「十一」は中見出し]

 その時の私《わたくし》はすでに大学生であった。始めて先生の宅《うち》へ来た頃《ころ》から見るとずっと成人した気でいた。奥さんとも大分《だいぶ》懇意になった後《のち》であった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。差向《さしむか》いで色々の話をした。しかしそれは特色のないただの談話だから、今ではまるで忘れてしまった。そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。しかしそれを話す前に、ちょっと断っておきたい事がある。

 先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何もしないで遊んでいるという事は、東京へ帰って少し経《た》ってから始めて分った。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。

 先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想については、先生と密切《みっせつ》の関係をもっている私より外《ほか》に敬意を払うもののあるべきはずがなかった。それを私は常に惜《お》しい事だといった。先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利《き》いては済まない」と答えるぎりで、取り合わなかった。私にはその答えが謙遜《けんそん》過ぎてかえって世間を冷評するようにも聞こえた。実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼《だれかれ》を捉《とら》えて、ひどく無遠慮な批評を加える事があった。それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々《うんぬん》してみた。私の精神は反抗の意味というよりも、世間が先生を知らないで平気でいるのが残念だったからである。その時先生は沈んだ調子で、「どうしても私は世間に向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」といった。先生の顔には深い一種の表情がありありと刻まれた。私にはそれが失望だか、不平だか、悲哀だか、解《わか》らなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどに強いものだったので、私はそれぎり何もいう勇気が出なかった。

 私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。

「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでしょう」

「あの人は駄目《だめ》ですよ。そういう事が嫌いなんですから」

「つまり下《くだ》らない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」

「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒ですわ」

「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」

「丈夫ですとも。何にも持病はありません」

「それでなぜ活動ができないんでしょう」

「それが解《わか》らないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」

 奥さんの語気には非常に同情があった。それでも口元だけには微笑が見えた。外側からいえば、私の方がむしろ真面目《まじめ》だった。私はむずかしい顔をして黙っていた。すると奥さんが急に思い出したようにまた口を開いた。

「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時はまるで違っていました。それが全く変ってしまったんです」

「若い時っていつ頃ですか」と私が聞いた。

「書生時代よ」

「書生時代から先生を知っていらっしゃったんですか」

 奥さんは急に薄赤い顔をした。

[#5字下げ]十二[#「十二」は中見出し]

 奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「本当いうと合《あい》の子《こ》なんですよ」といった。奥さんの父親はたしか鳥取《とっとり》かどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分《じぶん》の市ヶ谷《いちがや》で生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟《にいがた》県人であった。だから奥さんがもし先生の書生時代を知っているとすれば、郷里の関係からでない事は明らかであった。しかし薄赤い顔をした奥さんはそれより以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。

 先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題で先生の思想や情操に触れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何ものも聞き得なかった。私は時によると、それを善意に解釈してもみた。年輩の先生の事だから、艶《なま》めかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざと慎《つつし》んでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、そういう艶《つや》っぽい問題になると、正直に自分を開放するだけの勇気がないのだろうと考えた。もっともどちらも推測に過ぎなかった。そうしてどちらの推測の裏にも、二人の結婚の奥に横たわる花やかなロマンスの存在を仮定していた。

 私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描《えが》き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨《みじめ》なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。

 私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、先刻《さっき》いった通りであった。二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。

 ただ一つ私の記憶に残っている事がある。或《あ》る時|花時分《はなじぶん》に私は先生といっしょに上野《うえの》へ行った。そうしてそこで美しい一対《いっつい》の男女《なんにょ》を見た。彼らは睦《むつ》まじそうに寄り添って花の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙《そば》だてている人が沢山あった。

「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。

「仲が好《よ》さそうですね」と私が答えた。

 先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外《ほか》に置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。

「君は恋をした事がありますか」

 私はないと答えた。

「恋をしたくはありませんか」

 私は答えなかった。

「したくない事はないでしょう」

「ええ」

「君は今あの男と女を見て、冷評《ひやか》しましたね。あの冷評《ひやかし》のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交《まじ》っていましょう」

「そんな風《ふう》に聞こえましたか」

「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解《わか》っていますか」

 私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。

[#5字下げ]十三[#「十三」は中見出し]

 我々は群集の中にいた。群集はいずれも嬉《うれ》しそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。

「恋は罪悪ですか」と私《わたくし》がその時突然聞いた。

「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。

「なぜですか」

「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」

 私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。

「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」

「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」

「今それほど動いちゃいません」

「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」

「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」

「恋に上《のぼ》る楷段《かいだん》なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

「私には二つのものが全く性質を異《こと》にしているように思われます」

「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」

 私は変に悲しくなった。

「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」

 先生は私の言葉に耳を貸さなかった。

「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」

 私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧《もうろう》としてよく解《わか》らなかった。その上私は少し不愉快になった。

「先生、罪悪という意味をもっと判然《はっきり》いって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」

「悪い事をした。私はあなたに真実《まこと》を話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮《じら》していたのだ。私は悪い事をした」

 先生と私とは博物館の裏から鶯渓《うぐいすだに》の方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間《すきま》から広い庭の一部に茂る熊笹《くまざさ》が幽邃《ゆうすい》に見えた。

「君は私がなぜ毎月《まいげつ》雑司ヶ谷《ぞうしがや》の墓地に埋《うま》っている友人の墓へ参るのか知っていますか」

 先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると先生は始めて気が付いたようにこういった。

「また悪い事をいった。焦慮《じら》せるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止《や》めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」

 私には先生の話がますます解《わか》らなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。

[#5字下げ]十四[#「十四」は中見出し]

 年の若い私《わたくし》はややともすると一図《いちず》になりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独《ひと》りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。

「あんまり逆上《のぼせ》ちゃいけません」と先生がいった。

「覚《さ》めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生は肯《うけ》がってくれなかった。

「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめると厭《いや》になります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」

「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」

「私はお気の毒に思うのです」

「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」

 先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿《つばき》の花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよく眺《なが》める癖があった。

「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」

 その時|生垣《いけがき》の向うで金魚売りらしい声がした。その外《ほか》には何の聞こえるものもなかった。大通りから二|丁《ちょう》も深く折れ込んだ小路《こうじ》は存外《ぞんがい》静かであった。家《うち》の中はいつもの通りひっそりしていた。私は次の間《ま》に奥さんのいる事を知っていた。黙って針仕事か何かしている奥さんの耳に私の話し声が聞こえるという事も知っていた。しかし私は全くそれを忘れてしまった。

「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。

 先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。

「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪《のろ》うより外《ほか》に仕方がないのです」

「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」

「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖《こわ》くなったんです」

 私はもう少し先まで同じ道を辿《たど》って行きたかった。すると襖《ふすま》の陰で「あなた、あなた」という奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の間《ま》へ呼んだ。二人の間にどんな用事が起ったのか、私には解《わか》らなかった。それを想像する余裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。

「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺《あざむ》かれた返報に、残酷な復讐《ふくしゅう》をするようになるものだから」

「そりゃどういう意味ですか」

「かつてはその人の膝《ひざ》の前に跪《ひざまず》いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載《の》せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥《しりぞ》けたいと思うのです。私は今より一層|淋《さび》しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己《おの》れとに充《み》ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」

 私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。

[#5字下げ]十五[#「十五」は中見出し]

 その後《ご》私《わたくし》は奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。

 奥さんの様子は満足とも不満足とも極《き》めようがなかった。私はそれほど近く奥さんに接触する機会がなかったから。それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。最後に先生のいる席でなければ私と奥さんとは滅多《めった》に顔を合せなかったから。

 私の疑惑はまだその上にもあった。先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。ただ冷たい眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのだろうか。先生は坐《すわ》って考える質《たち》の人であった。先生の頭さえあれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろうか。私にはそうばかりとは思えなかった。先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。火に焼けて冷却し切った石造《せきぞう》家屋の輪廓《りんかく》とは違っていた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家の纏《まと》め上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。

 これは私の胸で推測するがものはない。先生自身すでにそうだと告白していた。ただその告白が雲の峯《みね》のようであった。私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものを蔽《おお》い被《かぶ》せた。そうしてなぜそれが恐ろしいか私にも解《わか》らなかった。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに私の神経を震《ふる》わせた。

 私は先生のこの人生観の基点に、或《あ》る強烈な恋愛事件を仮定してみた。(無論先生と奥さんとの間に起った)。先生がかつて恋は罪悪だといった事から照らし合せて見ると、多少それが手掛《てがか》りにもなった。しかし先生は現に奥さんを愛していると私に告げた。すると二人の恋からこんな厭世《えんせい》に近い覚悟が出ようはずがなかった。「かつてはその人の前に跪《ひざまず》いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載《の》せさせようとする」といった先生の言葉は、現代一般の誰彼《たれかれ》について用いられるべきで、先生と奥さんの間には当てはまらないもののようでもあった。

 雑司ヶ谷《ぞうしがや》にある誰《だれ》だか分らない人の墓、――これも私の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命《いのち》の断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命《いのち》の扉を開ける鍵《かぎ》にはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。

 そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。その頃《ころ》は日の詰《つま》って行くせわしない秋に、誰も注意を惹《ひ》かれる肌寒《はださむ》の季節であった。先生の附近《ふきん》で盗難に罹《かか》ったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であった。大したものを持って行かれた家《うち》はほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家を空《あ》けなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生は外《ほか》の二、三名と共に、ある所でその友人に飯《めし》を食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。

[#5字下げ]十六[#「十六」は中見出し]

 私《わたくし》の行ったのはまだ灯《ひ》の点《つ》くか点かない暮れ方であったが、几帳面《きちょうめん》な先生はもう宅《うち》にいなかった。「時間に後《おく》れると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、私を先生の書斎へ案内した。

 書斎には洋机《テーブル》と椅子《いす》の外《ほか》に、沢山の書物が美しい背皮《せがわ》を並べて、硝子越《ガラスごし》に電燈《でんとう》の光で照らされていた。奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団《ざぶとん》の上へ私を坐《すわ》らせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行った。私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。私は畏《かしこ》まったまま烟草《タバコ》を飲んでいた。奥さんが茶の間で何か下女《げじょ》に話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲った角《かど》にあるので、棟《むね》の位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領《りょう》していた。ひとしきりで奥さんの話し声が已《や》むと、後《あと》はしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、凝《じっ》としながら気をどこかに配った。

 三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪《しかつめ》らしく控えている私をおかしそうに見た。

「それじゃ窮屈でしょう」

「いえ、窮屈じゃありません」

「でも退屈でしょう」

「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」

 奥さんは手に紅茶茶碗《こうちゃぢゃわん》を持ったまま、笑いながらそこに立っていた。

「ここは隅っこだから番をするには好《よ》くありませんね」と私がいった。

「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴《ちょうだい》。ご退屈《たいくつ》だろうと思って、お茶を入れて持って来たんですが、茶の間で宜《よろ》しければあちらで上げますから」

 私は奥さんの後《あと》に尾《つ》いて書斎を出た。茶の間には綺麗《きれい》な長火鉢《ながひばち》に鉄瓶《てつびん》が鳴っていた。私はそこで茶と菓子のご馳走《ちそう》になった。奥さんは寝《ね》られないといけないといって、茶碗に手を触れなかった。

「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛《でか》けになるんですか」

「いいえ滅多《めった》に出た事はありません。近頃《ちかごろ》は段々人の顔を見るのが嫌《きら》いになるようです」

 こういった奥さんの様子に、別段困ったものだという風《ふう》も見えなかったので、私はつい大胆になった。

「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」

「いいえ私も嫌われている一人なんです」

「そりゃ嘘《うそ》です」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」

「なぜ」

「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」

「あなたは学問をする方《かた》だけあって、なかなかお上手《じょうず》ね。空《から》っぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同《おん》なじ理屈で」

「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」

「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空《から》の盃《さかずき》でよくああ飽きずに献酬《けんしゅう》ができると思いますわ」

 奥さんの言葉は少し手痛《てひど》かった。しかしその言葉の耳障《みみざわり》からいうと、決して猛烈なものではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出《みいだ》すほどに奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。

[#5字下げ]十七[#「十七」は中見出し]

 私《わたくし》はまだその後《あと》にいうべき事をもっていた。けれども奥さんから徒《いたず》らに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗《こうちゃぢゃわん》の底を覗《のぞ》いて黙っている私を外《そ》らさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。

「いくつ? 一つ? 二ッつ?」

 妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖の数《かず》を聞いた。奥さんの態度は私に媚《こ》びるというほどではなかったけれども、先刻《さっき》の強い言葉を力《つと》めて打ち消そうとする愛嬌《あいきょう》に充《み》ちていた。

 私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。

「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。

「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、叱《しか》り付けられそうですから」と私は答えた。

「まさか」と奥さんが再びいった。

 二人はそれを緒口《いとくち》にまた話を始めた。そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした。

「奥さん、先刻《さっき》の続きをもう少しいわせて下さいませんか。奥さんには空《から》な理屈と聞こえるかも知れませんが、私はそんな上《うわ》の空《そら》でいってる事じゃないんだから」

「じゃおっしゃい」

「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでしょうか」

「そりゃ分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るより外《ほか》に仕方がないじゃありませんか。私の所へ持って来る問題じゃないわ」

「奥さん、私は真面目《まじめ》ですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答えなくっちゃ」

「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」

「じゃ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。これは先生に聞くよりむしろ奥さんに伺っていい質問ですから、あなたに伺います」

「何もそんな事を開き直って聞かなくっても好《い》いじゃありませんか」

「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」

「まあそうよ」

「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」

「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れませんが)。先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚《おのぼれ》になるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」

「その信念が先生の心に好《よ》く映るはずだと私は思いますが」

「それは別問題ですわ」

「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか」

「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃《ちかごろ》では人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人《いちにん》として、私も好かれるはずがないじゃありませんか」

 奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑《の》み込めた。

[#5字下げ]十八[#「十八」は中見出し]

 私《わたくし》は奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意に一種の刺戟《しげき》を与えた。それで奥さんはその頃《ころ》流行《はや》り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わなかった。

 私は女というものに深い交際《つきあい》をした経験のない迂闊《うかつ》な青年であった。男としての私は、異性に対する本能から、憧憬《どうけい》の目的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺《なが》めるような心持で、ただ漠然《ばくぜん》と夢みていたに過ぎなかった。だから実際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力《はんぱつりょく》を感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出なかった。普通|男女《なんにょ》の間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起らなかった。私は奥さんの女であるという事を忘れた。私はただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。

「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」

「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」

「どんなだったんですか」

「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」

「それがどうして急に変化なすったんですか」

「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」

「奥さんはその間《あいだ》始終先生といっしょにいらしったんでしょう」

「無論いましたわ。夫婦ですもの」

「じゃ先生がそう変って行かれる源因《げんいん》がちゃんと解《わか》るべきはずですがね」

「それだから困るのよ。あなたからそういわれると実に辛《つら》いんですが、私にはどう考えても、考えようがないんですもの。私は今まで何遍《なんべん》あの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分りゃしません」

「先生は何とおっしゃるんですか」

「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、取り合ってくれないんです」

 私は黙っていた。奥さんも言葉を途切《とぎ》らした。下女部屋《げじょべや》にいる下女はことりとも音をさせなかった。私はまるで泥棒の事を忘れてしまった。

「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。

「いいえ」と私が答えた。

「どうぞ隠さずにいって下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんがまたいった。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」

「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。ご安心なさい、私が保証します」

 奥さんは火鉢の灰を掻《か》き馴《な》らした。それから水注《みずさし》の水を鉄瓶《てつびん》に注《さ》した。鉄瓶は忽《たちま》ち鳴りを沈めた。

「私はとうとう辛防《しんぼう》し切れなくなって、先生に聞きました。私に悪い所があるなら遠慮なくいって下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなおの事自分の悪い所が聞きたくなるんです」

 奥さんは眼の中《うち》に涙をいっぱい溜《た》めた。

[#5字下げ]十九[#「十九」は中見出し]

 始め私《わたくし》は理解のある女性《にょしょう》として奥さんに対していた。私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓《ハート》を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠《わだか》まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに眼を開《あ》けて見極《みきわ》めようとすると、やはり何《なん》にもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。

 奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的《えんせいてき》だから、その結果として自分も嫌われているのだと断言した。そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかった。底を割ると、かえってその逆を考えていた。先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭《いや》になったのだろうと推測していた。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかった。先生の態度はどこまでも良人《おっと》らしかった。親切で優しかった。疑いの塊《かたま》りをその日その日の情合《じょうあい》で包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見せた。

「あなたどう思って?」と聞いた。「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観《じんせいかん》とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずいって頂戴《ちょうだい》」

 私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答えが何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。

「私には解《わか》りません」

 奥さんは予期の外《はず》れた時に見る憐《あわ》れな表情をその咄嗟《とっさ》に現わした。私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。

「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。先生は嘘《うそ》を吐《つ》かない方《かた》でしょう」

 奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。

「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」

「先生がああいう風《ふう》になった源因《げんいん》についてですか」

「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」

「どんな事ですか」

 奥さんはいい渋って膝《ひざ》の上に置いた自分の手を眺めていた。

「あなた判断して下すって。いうから」

「私にできる判断ならやります」

「みんなはいえないのよ。みんないうと叱《しか》られるから。叱られないところだけよ」

 私は緊張して唾液《つばき》を呑《の》み込んだ。

「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好《い》いお友達が一人あったのよ。その方《かた》がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」

 奥さんは私の耳に私語《ささや》くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。

「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後《のち》なんです。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」

「その人の墓ですか、雑司ヶ谷《ぞうしがや》にあるのは」

「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪《たま》らないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」

 私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。

[#5字下げ]二十[#「二十」は中見出し]

 私《わたくし》は私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと事の大根《おおね》を攫《つか》んでいなかった。奥さんの不安も実はそこに漂《ただよ》う薄い雲に似た疑惑から出て来ていた。事件の真相になると、奥さん自身にも多くは知れていなかった。知れているところでも悉皆《すっかり》は私に話す事ができなかった。したがって慰める私も、慰められる奥さんも、共に波に浮いて、ゆらゆらしていた。ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出して、覚束《おぼつか》ない私の判断に縋《すが》り付こうとした。

 十時|頃《ごろ》になって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今までのすべてを忘れたように、前に坐《すわ》っている私をそっちのけにして立ち上がった。そうして格子《こうし》を開ける先生をほとんど出合《であ》い頭《がしら》に迎えた。私は取り残されながら、後《あと》から奥さんに尾《つ》いて行った。下女《げじょ》だけは仮寝《うたたね》でもしていたとみえて、ついに出て来なかった。

 先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しがた奥さんの美しい眼のうちに溜《たま》った涙の光と、それから黒い眉毛《まゆげ》の根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変化を異常なものとして注意深く眺《なが》めた。もしそれが詐《いつわ》りでなかったならば、(実際それは詐りとは思えなかったが)、今までの奥さんの訴えは感傷《センチメント》を玩《もてあそ》ぶためにとくに私を相手に拵《こしら》えた、徒《いたず》らな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそれほど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見て、むしろ安心した。これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。

 先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないんで張合《はりあい》が抜けやしませんか」といった。

 帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいところを暇を潰《つぶ》させて気の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥さんはそういいながら、先刻《さっき》出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを袂《たもと》へ入れて、人通りの少ない夜寒《よさむ》の小路《こうじ》を曲折して賑《にぎ》やかな町の方へ急いだ。

 私はその晩の事を記憶のうちから抽《ひ》き抜いてここへ詳《くわ》しく書いた。これは書くだけの必要があるから書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子を貰《もら》って帰るときの気分では、それほど当夜の会話を重く見ていなかった。私はその翌日《よくじつ》午飯《ひるめし》を食いに学校から帰ってきて、昨夜《ゆうべ》机の上に載《の》せて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色《とびいろ》のカステラを出して頬張《ほおば》った。そうしてそれを食う時に、必竟《ひっきょう》この菓子を私にくれた二人の男女《なんにょ》は、幸福な一対《いっつい》として世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。

 秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅《うち》へ出《で》はいりをするついでに、衣服の洗《あら》い張《は》りや仕立《した》て方《かた》などを奥さんに頼んだ。それまで繻絆《じゅばん》というものを着た事のない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。子供のない奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌《たいくつしの》ぎになって、結句《けっく》身体《からだ》の薬だぐらいの事をいっていた。

「こりゃ手織《てお》りね。こんな地《じ》の好《い》い着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪《にく》いのよそりゃあ。まるで針が立たないんですもの。お蔭《かげ》で針を二本折りましたわ」

 こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒《めんどう》くさいという顔をしなかった。

[#5字下げ]二十一[#「二十一」は中見出し]

 冬が来た時、私《わたくし》は偶然国へ帰らなければならない事になった。私の母から受け取った手紙の中に、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今という心配もあるまいが、年が年だから、できるなら都合して帰って来てくれと頼むように付け足してあった。

 父はかねてから腎臓《じんぞう》を病んでいた。中年以後の人にしばしば見る通り、父のこの病《やまい》は慢性であった。その代り要心さえしていれば急変のないものと当人も家族のものも信じて疑わなかった。現に父は養生のお蔭《かげ》一つで、今日《こんにち》までどうかこうか凌《しの》いで来たように客が来ると吹聴《ふいちょう》していた。その父が、母の書信によると、庭へ出て何かしている機《はずみ》に突然|眩暈《めまい》がして引ッ繰り返った。家内《かない》のものは軽症の脳溢血《のういっけつ》と思い違えて、すぐその手当をした。後《あと》で医者からどうもそうではないらしい、やはり持病の結果だろうという判断を得て、始めて卒倒と腎臓病とを結び付けて考えるようになったのである。

 冬休みが来るにはまだ少し間《ま》があった。私は学期の終りまで待っていても差支《さしつか》えあるまいと思って一日二日そのままにしておいた。するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配している顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗《な》めた私は、とうとう帰る決心をした。国から旅費を送らせる手数《てかず》と時間を省くため、私は暇乞《いとまご》いかたがた先生の所へ行って、要《い》るだけの金を一時立て替えてもらう事にした。

 先生は少し風邪《かぜ》の気味で、座敷へ出るのが臆劫《おっくう》だといって、私をその書斎に通した。書斎の硝子戸《ガラスど》から冬に入《い》って稀《まれ》に見るような懐かしい和《やわ》らかな日光が机掛《つくえか》けの上に射《さ》していた。先生はこの日あたりの好《い》い室《へや》の中へ大きな火鉢を置いて、五徳《ごとく》の上に懸けた金盥《かなだらい》から立ち上《あが》る湯気《ゆげ》で、呼吸《いき》の苦しくなるのを防いでいた。

「大病は好《い》いが、ちょっとした風邪《かぜ》などはかえって厭《いや》なものですね」といった先生は、苦笑しながら私の顔を見た。

 先生は病気という病気をした事のない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。

「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平《まっぴら》です。先生だって同じ事でしょう。試みにやってご覧になるとよく解《わか》ります」

「そうかね。私は病気になるくらいなら、死病に罹《かか》りたいと思ってる」

 私は先生のいう事に格別注意を払わなかった。すぐ母の手紙の話をして、金の無心を申し出た。

「そりゃ困るでしょう。そのくらいなら今手元にあるはずだから持って行きたまえ」

 先生は奥さんを呼んで、必要の金額を私の前に並べさせてくれた。それを奥の茶箪笥《ちゃだんす》か何かの抽出《ひきだし》から出して来た奥さんは、白い半紙の上へ鄭寧《ていねい》に重ねて、「そりゃご心配ですね」といった。

「何遍《なんべん》も卒倒したんですか」と先生が聞いた。

「手紙には何とも書いてありませんが。――そんなに何度も引ッ繰り返るものですか」

「ええ」

 先生の奥さんの母親という人も私の父と同じ病気で亡くなったのだという事が始めて私に解った。

「どうせむずかしいんでしょう」と私がいった。

「そうさね。私が代られれば代ってあげても好《い》いが。――嘔気《はきけ》はあるんですか」

「どうですか、何とも書いてないから、大方《おおかた》ないんでしょう」

「吐気さえ来なければまだ大丈夫ですよ」と奥さんがいった。

 私はその晩の汽車で東京を立った。

[#5字下げ]二十二[#「二十二」は中見出し]

 父の病気は思ったほど悪くはなかった。それでも着いた時は、床《とこ》の上に胡坐《あぐら》をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝《じっ》としている。なにもう起きても好《い》いのさ」といった。しかしその翌日《よくじつ》からは母が止めるのも聞かずに、とうとう床を上げさせてしまった。母は不承無性《ふしょうぶしょう》に太織《ふとお》りの蒲団《ふとん》を畳みながら「お父さんはお前が帰って来たので、急に気が強くおなりなんだよ」といった。私《わたくし》には父の挙動がさして虚勢を張っているようにも思えなかった。

 私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易に父母《ちちはは》の顔を見る自由の利《き》かない男であった。妹は他国へ嫁《とつ》いだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹《きょうだい》三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしている私だけであった。その私が母のいい付け通り学校の課業を放《ほう》り出して、休み前に帰って来たという事が、父には大きな満足であった。

「これしきの病気に学校を休ませては気の毒だ。お母さんがあまり仰山《ぎょうさん》な手紙を書くものだからいけない」

 父は口ではこういった。こういったばかりでなく、今まで敷いていた床《とこ》を上げさせて、いつものような元気を示した。

「あんまり軽はずみをしてまた逆回《ぶりかえ》すといけませんよ」

 私のこの注意を父は愉快そうにしかし極《きわ》めて軽く受けた。

「なに大丈夫、これでいつものように要心《ようじん》さえしていれば」

 実際父は大丈夫らしかった。家の中を自由に往来して、息も切れなければ、眩暈《めまい》も感じなかった。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、これはまた今始まった症状でもないので、私たちは格別それを気に留めなかった。

 私は先生に手紙を書いて恩借《おんしゃく》の礼を述べた。正月上京する時に持参するからそれまで待ってくれるようにと断わった。そうして父の病状の思ったほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈も嘔気《はきけ》も皆無な事などを書き連ねた。最後に先生の風邪《ふうじゃ》についても一言《いちごん》の見舞を附《つ》け加えた。私は先生の風邪を実際軽く見ていたので。

 私はその手紙を出す時に決して先生の返事を予期していなかった。出した後で父や母と先生の噂《うわさ》などをしながら、遥《はる》かに先生の書斎を想像した。

「こんど東京へ行くときには椎茸《しいたけ》でも持って行ってお上げ」

「ええ、しかし先生が干した椎茸なぞを食うかしら」

「旨《うま》くはないが、別に嫌《きら》いな人もないだろう」

 私には椎茸と先生を結び付けて考えるのが変であった。

 先生の返事が来た時、私はちょっと驚かされた。ことにその内容が特別の用件を含んでいなかった時、驚かされた。先生はただ親切ずくで、返事を書いてくれたんだと私は思った。そう思うと、その簡単な一本の手紙が私には大層な喜びになった。もっともこれは私が先生から受け取った第一の手紙には相違なかったが。

 第一というと私と先生の間に書信の往復がたびたびあったように思われるが、事実は決してそうでない事をちょっと断わっておきたい。私は先生の生前にたった二通の手紙しか貰《もら》っていない。その一通は今いうこの簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前とくに私|宛《あて》で書いた大変長いものである。

 父は病気の性質として、運動を慎まなければならないので、床を上げてからも、ほとんど戸外《そと》へは出なかった。一度天気のごく穏やかな日の午後庭へ下りた事があるが、その時は万一を気遣《きづか》って、私が引き添うように傍《そば》に付いていた。私が心配して自分の肩へ手を掛けさせようとしても、父は笑って応じなかった。

[#5字下げ]二十三[#「二十三」は中見出し]

 私《わたくし》は退屈な父の相手としてよく将碁盤《しょうぎばん》に向かった。二人とも無精な性質《たち》なので、炬燵《こたつ》にあたったまま、盤を櫓《やぐら》の上へ載《の》せて、駒《こま》を動かすたびに、わざわざ手を掛蒲団《かけぶとん》の下から出すような事をした。時々|持駒《もちごま》を失《な》くして、次の勝負の来るまで双方とも知らずにいたりした。それを母が灰の中から見付《みつ》け出して、火箸《ひばし》で挟《はさ》み上げるという滑稽《こっけい》もあった。

「碁《ご》だと盤が高過ぎる上に、足が着いているから、炬燵の上では打てないが、そこへ来ると将碁盤は好《い》いね、こうして楽に差せるから。無精者には持って来いだ。もう一番やろう」

 父は勝った時は必ずもう一番やろうといった。そのくせ負けた時にも、もう一番やろうといった。要するに、勝っても負けても、炬燵にあたって、将碁を差したがる男であった。始めのうちは珍しいので、この隠居《いんきょ》じみた娯楽が私にも相当の興味を与えたが、少し時日が経《た》つに伴《つ》れて、若い私の気力はそのくらいな刺戟《しげき》で満足できなくなった。私は金《きん》や香車《きょうしゃ》を握った拳《こぶし》を頭の上へ伸ばして、時々思い切ったあくびをした。

 私は東京の事を考えた。そうして漲《みなぎ》る心臓の血潮の奥に、活動活動と打ちつづける鼓動《こどう》を聞いた。不思議にもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているように感じた。

 私は心のうちで、父と先生とを比較して見た。両方とも世間から見れば、生きているか死んでいるか分らないほど大人《おとな》しい男であった。他《ひと》に認められるという点からいえばどっちも零《れい》であった。それでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としても私には物足りなかった。かつて遊興のために往来《ゆきき》をした覚《おぼ》えのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上に、いつか私の頭に影響を与えていた。ただ頭というのはあまりに冷《ひや》やか過ぎるから、私は胸といい直したい。肉のなかに先生の力が喰《く》い込んでいるといっても、血のなかに先生の命が流れているといっても、その時の私には少しも誇張でないように思われた。私は父が私の本当の父であり、先生はまたいうまでもなく、あかの他人であるという明白な事実を、ことさらに眼の前に並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくに驚いた。

 私がのつそつし出すと前後して、父や母の眼にも今まで珍しかった私が段々|陳腐《ちんぷ》になって来た。これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも置かないように、ちやほや歓待《もてな》されるのに、その峠を定規通《ていきどお》り通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがちになるものである。私も滞在中にその峠を通り越した。その上私は国へ帰るたびに、父にも母にも解《わか》らない変なところを東京から持って帰った。昔でいうと、儒者《じゅしゃ》の家へ切支丹《キリシタン》の臭《にお》いを持ち込むように、私の持って帰るものは父とも母とも調和しなかった。無論私はそれを隠していた。けれども元々身に着いているものだから、出すまいと思っても、いつかそれが父や母の眼に留《と》まった。私はつい面白くなくなった。早く東京へ帰りたくなった。

 父の病気は幸い現状維持のままで、少しも悪い方へ進む模様は見えなかった。念のためにわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして、慎重に診察してもらってもやはり私の知っている以外に異状は認められなかった。私は冬休みの尽きる少し前に国を立つ事にした。立つといい出すと、人情は妙なもので、父も母も反対した。

「もう帰るのかい、まだ早いじゃないか」と母がいった。

「まだ四、五日いても間に合うんだろう」と父がいった。

 私は自分の極《き》めた出立《しゅったつ》の日を動かさなかった。

[#5字下げ]二十四[#「二十四」は中見出し]

 東京へ帰ってみると、松飾《まつかざり》はいつか取り払われていた。町は寒い風の吹くに任せて、どこを見てもこれというほどの正月めいた景気はなかった。

 私《わたくし》は早速《さっそく》先生のうちへ金を返しに行った。例の椎茸《しいたけ》もついでに持って行った。ただ出すのは少し変だから、母がこれを差し上げてくれといいましたとわざわざ断って奥さんの前へ置いた。椎茸は新しい菓子折に入れてあった。鄭寧《ていねい》に礼を述べた奥さんは、次の間《ま》へ立つ時、その折を持って見て、軽いのに驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子《おかし》」と聞いた。奥さんは懇意になると、こんなところに極《きわ》めて淡泊《たんぱく》な小供《こども》らしい心を見せた。

 二人とも父の病気について、色々|掛念《けねん》の問いを繰り返してくれた中に、先生はこんな事をいった。

「なるほど容体《ようだい》を聞くと、今が今どうという事もないようですが、病気が病気だからよほど気をつけないといけません」

 先生は腎臓《じんぞう》の病《やまい》について私の知らない事を多く知っていた。

「自分で病気に罹《かか》っていながら、気が付かないで平気でいるのがあの病の特色です。私の知ったある士官《しかん》は、とうとうそれでやられたが、全く嘘《うそ》のような死に方をしたんですよ。何しろ傍《そば》に寝ていた細君《さいくん》が看病をする暇もなんにもないくらいなんですからね。夜中にちょっと苦しいといって、細君を起したぎり、翌《あく》る朝はもう死んでいたんです。しかも細君は夫が寝ているとばかり思ってたんだっていうんだから」

 今まで楽天的に傾いていた私は急に不安になった。

「私の父《おやじ》もそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」

「医者は何というのです」

「医者は到底《とても》治らないというんです。けれども当分のところ心配はあるまいともいうんです」

「それじゃ好《い》いでしょう。医者がそういうなら。私の今話したのは気が付かずにいた人の事で、しかもそれがずいぶん乱暴な軍人なんだから」

 私はやや安心した。私の変化を凝《じっ》と見ていた先生は、それからこう付け足した。

「しかし人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆《もろ》いものですね。いつどんな事でどんな死にようをしないとも限らないから」

「先生もそんな事を考えてお出《いで》ですか」

「いくら丈夫の私でも、満更《まんざら》考えない事もありません」

 先生の口元には微笑の影が見えた。

「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間《ま》に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」

「不自然な暴力って何ですか」

「何だかそれは私にも解《わか》らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」

「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭《かげ》ですね」

「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」

 その日はそれで帰った。帰ってからも父の病気はそれほど苦にならなかった。先生のいった自然に死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかいう言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後《あと》は何らのこだわりを私の頭に残さなかった。私は今まで幾度《いくたび》か手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文を、いよいよ本式に書き始めなければならないと思い出した。

[#5字下げ]二十五[#「二十五」は中見出し]

 その年の六月に卒業するはずの私《わたくし》は、ぜひともこの論文を成規通《せいきどお》り四月いっぱいに書き上げてしまわなければならなかった。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、私は少し自分の度胸を疑《うたぐ》った。他《ほか》のものはよほど前から材料を蒐《あつ》めたり、ノートを溜《た》めたりして、余所目《よそめ》にも忙《いそが》しそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽《たちま》ち動けなくなった。今まで大きな問題を空《くう》に描《えが》いて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいに考えていた私は、頭を抑《おさ》えて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思想を系統的に纏《まと》める手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょっと付け加える事にした。

 私の選択した問題は先生の専門と縁故の近いものであった。私がかつてその選択について先生の意見を尋ねた時、先生は好《い》いでしょうといった。狼狽《ろうばい》した気味の私は、早速《さっそく》先生の所へ出掛けて、私の読まなければならない参考書を聞いた。先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与えてくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸そうといった。しかし先生はこの点について毫《ごう》も私を指導する任に当ろうとしなかった。

「近頃《ちかごろ》はあんまり書物を読まないから、新しい事は知りませんよ。学校の先生に聞いた方が好いでしょう」

 先生は一時非常の読書家であったが、その後《ご》どういう訳か、前ほどこの方面に興味が働かなくなったようだと、かつて奥さんから聞いた事があるのを、私はその時ふと思い出した。私は論文をよそにして、そぞろに口を開いた。

「先生はなぜ元のように書物に興味をもち得ないんですか」

「なぜという訳もありませんが。……つまりいくら本を読んでもそれほどえらくならないと思うせいでしょう。それから……」

「それから、まだあるんですか」

「まだあるというほどの理由でもないが、以前はね、人の前へ出たり、人に聞かれたりして知らないと恥のようにきまりが悪かったものだが、近頃は知らないという事が、それほどの恥でないように見え出したものだから、つい無理にも本を読んでみようという元気が出なくなったのでしょう。まあ早くいえば老い込んだのです」

 先生の言葉はむしろ平静であった。世間に背中を向けた人の苦味《くみ》を帯びていなかっただけに、私にはそれほどの手応《てごた》えもなかった。私は先生を老い込んだとも思わない代りに、偉いとも感心せずに帰った。

 それからの私はほとんど論文に祟《たた》られた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。私は一年|前《ぜん》に卒業した友達について、色々様子を聞いてみたりした。そのうちの一人《いちにん》は締切《しめきり》の日に車で事務所へ馳《か》けつけて漸《ようや》く間に合わせたといった。他の一人は五時を十五分ほど後《おく》らして持って行ったため、危《あやう》く跳《は》ね付けられようとしたところを、主任教授の好意でやっと受理してもらったといった。私は不安を感ずると共に度胸を据《す》えた。毎日机の前で精根のつづく限り働いた。でなければ、薄暗い書庫にはいって、高い本棚のあちらこちらを見廻《みまわ》した。私の眼は好事家《こうずか》が骨董《こっとう》でも掘り出す時のように背表紙の金文字をあさった。

 梅が咲くにつけて寒い風は段々|向《むき》を南へ更《か》えて行った。それが一仕切《ひとしきり》経《た》つと、桜の噂《うわさ》がちらほら私の耳に聞こえ出した。それでも私は馬車馬のように正面ばかり見て、論文に鞭《むち》うたれた。私はついに四月の下旬が来て、やっと予定通りのものを書き上げるまで、先生の敷居を跨《また》がなかった。

[#5字下げ]二十六[#「二十六」は中見出し]

 私《わたくし》の自由になったのは、八重桜《やえざくら》の散った枝にいつしか青い葉が霞《かす》むように伸び始める初夏の季節であった。私は籠《かご》を抜け出した小鳥の心をもって、広い天地を一目《ひとめ》に見渡しながら、自由に羽搏《はばた》きをした。私はすぐ先生の家《うち》へ行った。枳殻《からたち》の垣が黒ずんだ枝の上に、萌《もえ》るような芽を吹いていたり、柘榴《ざくろ》の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうに日光を映していたりするのが、道々私の眼を引き付けた。私は生れて初めてそんなものを見るような珍しさを覚えた。

 先生は嬉《うれ》しそうな私の顔を見て、「もう論文は片付いたんですか、結構ですね」といった。私は「お蔭《かげ》でようやく済みました。もう何にもする事はありません」といった。

 実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了《けつりょう》して、これから先は威張って遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。私は書き上げた自分の論文に対して充分の自信と満足をもっていた。私は先生の前で、しきりにその内容を喋々《ちょうちょう》した。先生はいつもの調子で、「なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上の批評は少しも加えなかった。私は物足りないというよりも、聊《いささ》か拍子抜けの気味であった。それでもその日私の気力は、因循《いんじゅん》らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々《いきいき》していた。私は青く蘇生《よみがえ》ろうとする大きな自然の中に、先生を誘い出そうとした。

「先生どこかへ散歩しましょう。外へ出ると大変|好《い》い心持です」

「どこへ」

 私はどこでも構わなかった。ただ先生を伴《つ》れて郊外へ出たかった。

 一時間の後《のち》、先生と私は目的どおり市を離れて、村とも町とも区別の付かない静かな所を宛《あて》もなく歩いた。私はかなめの垣から若い柔らかい葉を※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]《も》ぎ取って芝笛《しばぶえ》を鳴らした。ある鹿児島人《かごしまじん》を友達にもって、その人の真似《まね》をしつつ自然に習い覚えた私は、この芝笛というものを鳴らす事が上手であった。私が得意にそれを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いた。

 やがて若葉に鎖《と》ざされたように蓊欝《こんもり》した小高い一構《ひとかま》えの下に細い路《みち》が開《ひら》けた。門の柱に打ち付けた標札に何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れた。先生はだらだら上《のぼ》りになっている入口を眺《なが》めて、「はいってみようか」といった。私はすぐ「植木屋ですね」と答えた。

 植込《うえこみ》の中を一《ひと》うねりして奥へ上《のぼ》ると左側に家《うち》があった。明け放った障子《しょうじ》の内はがらんとして人の影も見えなかった。ただ軒先《のきさき》に据えた大きな鉢の中に飼ってある金魚が動いていた。

「静かだね。断わらずにはいっても構わないだろうか」

「構わないでしょう」

 二人はまた奥の方へ進んだ。しかしそこにも人影は見えなかった。躑躅《つつじ》が燃えるように咲き乱れていた。先生はそのうちで樺色《かばいろ》の丈《たけ》の高いのを指して、「これは霧島《きりしま》でしょう」といった。

 芍薬《しゃくやく》も十坪《とつぼ》あまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けているのは一本もなかった。この芍薬|畠《ばたけ》の傍《そば》にある古びた縁台のようなものの上に先生は大の字なりに寝た。私はその余った端《はじ》の方に腰をおろして烟草《タバコ》を吹かした。先生は蒼《あお》い透《す》き徹《とお》るような空を見ていた。私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺《なが》めると、一々違っていた。同じ楓《かえで》の樹《き》でも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。細い杉苗の頂《いただき》に投げ被《かぶ》せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。

[#5字下げ]二十七[#「二十七」は中見出し]

 私《わたくし》はすぐその帽子を取り上げた。所々《ところどころ》に着いている赤土を爪《つめ》で弾《はじ》きながら先生を呼んだ。

「先生帽子が落ちました」

「ありがとう」

 身体《からだ》を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。

「突然だが、君の家《うち》には財産がよっぽどあるんですか」

「あるというほどありゃしません」

「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」

「どのくらいって、山と田地《でんぢ》が少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」

 先生が私の家《いえ》の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑《うたぐ》った。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨《あらわ》な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。

「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」

「私は財産家と見えますか」

 先生は平生からむしろ質素な服装《なり》をしていた。それに家内《かない》は小人数《こにんず》であった。したがって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢《ぜいたく》といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。

「そうでしょう」と私がいった。

「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家《うち》でも造るさ」

 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐《あぐら》をかいていたが、こういい終ると、竹の杖《つえ》の先で地面の上へ円のようなものを描《か》き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直《まっすぐ》に立てた。

「これでも元は財産家なんだがなあ」

 先生の言葉は半分|独《ひと》り言《ごと》のようであった。それですぐ後《あと》に尾《つ》いて行き損なった私は、つい黙っていた。

「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むしろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他《よそ》へ移した。

「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」

 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替《かわせ》と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟《しゅせき》であったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫《ふる》えが少しも筆の運《はこ》びを乱していなかった。

「何ともいって来ませんが、もう好《い》いんでしょう」

「好《よ》ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」

「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」

「そうですか」

 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私は無論そこに気が付くはずがなかった。

[#5字下げ]二十八[#「二十八」は中見出し]

「君のうちに財産があるなら、今のうちによく始末をつけてもらっておかないといけないと思うがね、余計なお世話だけれども。君のお父さんが達者なうちに、貰《もら》うものはちゃんと貰っておくようにしたらどうですか。万一の事があったあとで、一番面倒の起るのは財産の問題だから」

「ええ」

 私《わたくし》は先生の言葉に大した注意を払わなかった。私の家庭でそんな心配をしているものは、私に限らず、父にしろ母にしろ、一人もないと私は信じていた。その上先生のいう事の、先生として、あまりに実際的なのに私は少し驚かされた。しかしそこは年長者に対する平生の敬意が私を無口にした。

「あなたのお父さんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉遣《ことばづか》いをするのが気に触《さわ》ったら許してくれたまえ。しかし人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬか分らないものだからね」

 先生の口気《こうき》は珍しく苦々しかった。

「そんな事をちっとも気に掛けちゃいません」と私は弁解した。

「君の兄弟《きょうだい》は何人でしたかね」と先生が聞いた。

 先生はその上に私の家族の人数《にんず》を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父《おじ》や叔母《おば》の様子を問いなどした。そうして最後にこういった。

「みんな善《い》い人ですか」

「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵|田舎者《いなかもの》ですから」

「田舎者はなぜ悪くないんですか」

 私はこの追窮《ついきゅう》に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。

「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚《しんせき》なぞの中《うち》に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型《いかた》に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」

 先生のいう事は、ここで切れる様子もなかった。私はまたここで何かいおうとした。すると後《うし》ろの方で犬が急に吠《ほ》え出した。先生も私も驚いて後ろを振り返った。

 縁台の横から後部へ掛けて植え付けてある杉苗の傍《そば》に、熊笹《くまざさ》が三坪《みつぼ》ほど地を隠すように茂って生えていた。犬はその顔と背を熊笹の上に現わして、盛んに吠え立てた。そこへ十《とお》ぐらいの小供《こども》が馳《か》けて来て犬を叱《しか》り付けた。小供は徽章《きしょう》の着いた黒い帽子を被《かぶ》ったまま先生の前へ廻《まわ》って礼をした。

「叔父さん、はいって来る時、家《うち》に誰《だれ》もいなかったかい」と聞いた。

「誰もいなかったよ」

「姉さんやおっかさんが勝手の方にいたのに」

「そうか、いたのかい」

「ああ。叔父さん、今日《こんち》はって、断ってはいって来ると好《よ》かったのに」

 先生は苦笑した。懐中《ふところ》から蟇口《がまぐち》を出して、五銭の白銅《はくどう》を小供の手に握らせた。

「おっかさんにそういっとくれ。少しここで休まして下さいって」

 小供は怜悧《りこう》そうな眼に笑《わら》いを漲《みなぎ》らして、首肯《うなず》いて見せた。

「今|斥候長《せっこうちょう》になってるところなんだよ」

 小供はこう断って、躑躅《つつじ》の間を下の方へ駈け下りて行った。犬も尻尾《しっぽ》を高く巻いて小供の後を追い掛けた。しばらくすると同じくらいの年格好の小供が二、三人、これも斥候長の下りて行った方へ駈けていった。

[#5字下げ]二十九[#「二十九」は中見出し]

 先生の談話は、この犬と小供のために、結末まで進行する事ができなくなったので、私はついにその要領を得ないでしまった。先生の気にする財産|云々《うんぬん》の掛念《けねん》はその時の私《わたくし》には全くなかった。私の性質として、また私の境遇からいって、その時の私には、そんな利害の念に頭を悩ます余地がなかったのである。考えるとこれは私がまだ世間に出ないためでもあり、また実際その場に臨まないためでもあったろうが、とにかく若い私にはなぜか金の問題が遠くの方に見えた。

 先生の話のうちでただ一つ底まで聞きたかったのは、人間がいざという間際に、誰でも悪人になるという言葉の意味であった。単なる言葉としては、これだけでも私に解《わか》らない事はなかった。しかし私はこの句についてもっと知りたかった。

 犬と小供《こども》が去ったあと、広い若葉の園は再び故《もと》の静かさに帰った。そうして我々は沈黙に鎖《と》ざされた人のようにしばらく動かずにいた。うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。眼の前にある樹《き》は大概|楓《かえで》であったが、その枝に滴《したた》るように吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなって行くように思われた。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえた。私はそれを村の男が植木か何かを載せて縁日《えんにち》へでも出掛けるものと想像した。先生はその音を聞くと、急に瞑想《めいそう》から呼息《いき》を吹き返した人のように立ち上がった。

「もう、そろそろ帰りましょう。大分《だいぶ》日が永くなったようだが、やっぱりこう安閑としているうちには、いつの間にか暮れて行くんだね」

 先生の背中には、さっき縁台の上に仰向《あおむ》きに寝た痕《あと》がいっぱい着いていた。私は両手でそれを払い落した。

「ありがとう。脂《やに》がこびり着いてやしませんか」

「綺麗《きれい》に落ちました」

「この羽織はつい此間《こないだ》拵《こしら》えたばかりなんだよ。だからむやみに汚して帰ると、妻《さい》に叱《しか》られるからね。有難う」

 二人はまただらだら坂《ざか》の中途にある家《うち》の前へ来た。はいる時には誰もいる気色《けしき》の見えなかった縁《えん》に、お上《かみ》さんが、十五、六の娘を相手に、糸巻へ糸を巻きつけていた。二人は大きな金魚鉢の横から、「どうもお邪魔《じゃま》をしました」と挨拶《あいさつ》した。お上さんは「いいえお構《かま》い申しも致しませんで」と礼を返した後《あと》、先刻《さっき》小供にやった白銅《はくどう》の礼を述べた。

 門口《かどぐち》を出て二、三|町《ちょう》来た時、私はついに先生に向かって口を切った。

「さきほど先生のいわれた、人間は誰《だれ》でもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」

「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」

「事実で差支《さしつか》えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」

 先生は笑い出した。あたかも時機《じき》の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風《ふう》に。

「金《かね》さ君。金を見ると、どんな君子《くんし》でもすぐ悪人になるのさ」

 私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰《つま》らなかった。先生が調子に乗らないごとく、私も拍子抜けの気味であった。私は澄ましてさっさと歩き出した。いきおい先生は少し後《おく》れがちになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けた。

「そら見たまえ」

「何をですか」

「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」

 待ち合わせるために振り向いて立《た》ち留《ど》まった私の顔を見て、先生はこういった。

[#5字下げ]三十[#「三十」は中見出し]

 その時の私《わたくし》は腹の中で先生を憎らしく思った。肩を並べて歩き出してからも、自分の聞きたい事をわざと聞かずにいた。しかし先生の方では、それに気が付いていたのか、いないのか、まるで私の態度に拘泥《こだわ》る様子を見せなかった。いつもの通り沈黙がちに落ち付き払った歩調をすまして運んで行くので、私は少し業腹《ごうはら》になった。何とかいって一つ先生をやっ付けてみたくなって来た。

「先生」

「何ですか」

「先生はさっき少し昂奮《こうふん》なさいましたね。あの植木屋の庭で休んでいる時に。私は先生の昂奮したのを滅多《めった》に見た事がないんですが、今日は珍しいところを拝見したような気がします」

 先生はすぐ返事をしなかった。私はそれを手応《てごた》えのあったようにも思った。また的《まと》が外《はず》れたようにも感じた。仕方がないから後《あと》はいわない事にした。すると先生がいきなり道の端《はじ》へ寄って行った。そうして綺麗《きれい》に刈り込んだ生垣《いけがき》の下で、裾《すそ》をまくって小便をした。私は先生が用を足す間ぼんやりそこに立っていた。

「やあ失敬」

 先生はこういってまた歩き出した。私はとうとう先生をやり込める事を断念した。私たちの通る道は段々|賑《にぎ》やかになった。今までちらほらと見えた広い畠《はたけ》の斜面や平地《ひらち》が、全く眼に入《い》らないように左右の家並《いえなみ》が揃《そろ》ってきた。それでも所々《ところどころ》宅地の隅などに、豌豆《えんどう》の蔓《つる》を竹にからませたり、金網《かなあみ》で鶏《にわとり》を囲い飼いにしたりするのが閑静に眺《なが》められた。市中から帰る駄馬《だば》が仕切りなく擦《す》れ違って行った。こんなものに始終気を奪《と》られがちな私は、さっきまで胸の中にあった問題をどこかへ振り落してしまった。先生が突然そこへ後戻《あともど》りをした時、私は実際それを忘れていた。

「私は先刻《さっき》そんなに昂奮したように見えたんですか」

「そんなにというほどでもありませんが、少し……」

「いや見えても構わない。実際|昂奮《こうふん》するんだから。私は財産の事をいうときっと昂奮するんです。君にはどう見えるか知らないが、私はこれで大変執念深い男なんだから。人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっても忘れやしないんだから」

 先生の言葉は元よりもなお昂奮していた。しかし私の驚いたのは、決してその調子ではなかった。むしろ先生の言葉が私の耳に訴える意味そのものであった。先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかった。私は先生の性質の特色として、こんな執着力《しゅうじゃくりょく》をいまだかつて想像した事さえなかった。私は先生をもっと弱い人と信じていた。そうしてその弱くて高い処《ところ》に、私の懐かしみの根を置いていた。一時の気分で先生にちょっと盾《たて》を突いてみようとした私は、この言葉の前に小さくなった。先生はこういった。

「私は他《ひと》に欺《あざむ》かれたのです。しかも血のつづいた親戚《しんせき》のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否《いな》や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と損害を小供《こども》の時から今日《きょう》まで背負《しょ》わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事ができないんだから。しかし私はまだ復讐《ふくしゅう》をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」

 私は慰藉《いしゃ》の言葉さえ口へ出せなかった。

[#5字下げ]三十一[#「三十一」は中見出し]

 その日の談話もついにこれぎりで発展せずにしまった。私《わたくし》はむしろ先生の態度に畏縮《いしゅく》して、先へ進む気が起らなかったのである。

 二人は市の外《はず》れから電車に乗ったが、車内ではほとんど口を聞かなかった。電車を降りると間もなく別れなければならなかった。別れる時の先生は、また変っていた。常よりは晴やかな調子で、「これから六月までは一番気楽な時ですね。ことによると生涯で一番気楽かも知れない。精出して遊びたまえ」といった。私は笑って帽子を脱《と》った。その時私は先生の顔を見て、先生ははたして心のどこで、一般の人間を憎んでいるのだろうかと疑《うたぐ》った。その眼、その口、どこにも厭世的《えんせいてき》の影は射《さ》していなかった。

 私は思想上の問題について、大いなる利益を先生から受けた事を自白する。しかし同じ問題について、利益を受けようとしても、受けられない事が間々《まま》あったといわなければならない。先生の談話は時として不得要領《ふとくようりょう》に終った。その日二人の間に起った郊外の談話も、この不得要領の一例として私の胸の裏《うち》に残った。

 無遠慮な私は、ある時ついにそれを先生の前に打ち明けた。先生は笑っていた。私はこういった。

「頭が鈍くて要領を得ないのは構いませんが、ちゃんと解《わか》ってるくせに、はっきりいってくれないのは困ります」

「私は何にも隠してやしません」

「隠していらっしゃいます」

「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏《まと》め上げた考えをむやみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉《ことごと》くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それはまた別問題になります」

「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」

 先生はあきれたといった風《ふう》に、私の顔を見た。巻烟草《まきタバコ》を持っていたその手が少し顫《ふる》えた。

「あなたは大胆だ」

「ただ真面目《まじめ》なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」

「私の過去を訐《あば》いてもですか」

 訐くという言葉が、突然恐ろしい響《ひび》きをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐《すわ》っているのが、一人の罪人《ざいにん》であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼《あお》かった。

「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果《いんが》で、人を疑《うたぐ》りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好《い》いから、他《ひと》を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」

「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」

 私の声は顫えた。

「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増《まし》かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい。適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」

 私は下宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。

[#5字下げ]三十二[#「三十二」は中見出し]

 私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。それでも私は予定通り及第した。卒業式の日、私は黴臭《かびくさ》くなった古い冬服を行李《こうり》の中から出して着た。式場にならぶと、どれもこれもみな暑そうな顔ばかりであった。私は風の通らない厚羅紗《あつラシャ》の下に密封された自分の身体《からだ》を持て余した。しばらく立っているうちに手に持ったハンケチがぐしょぐしょになった。

 私は式が済むとすぐ帰って裸体《はだか》になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡《とおめがね》のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放り出した。そうして大の字なりになって、室《へや》の真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた。また自分の未来を想像した。するとその間に立って一区切りを付けているこの卒業証書なるものが、意味のあるような、また意味のないような変な紙に思われた。

 私はその晩先生の家へ御馳走《ごちそう》に招かれて行った。これはもし卒業したらその日の晩餐《ばんさん》はよそで喰《く》わずに、先生の食卓で済ますという前からの約束であった。

 食卓は約束通り座敷の縁《えん》近くに据えられてあった。模様の織り出された厚い糊《のり》の硬《こわ》い卓布《テーブルクロース》が美しくかつ清らかに電燈の光を射返《いかえ》していた。先生のうちで飯《めし》を食うと、きっとこの西洋料理店に見るような白いリンネルの上に、箸《はし》や茶碗《ちゃわん》が置かれた。そうしてそれが必ず洗濯したての真白《まっしろ》なものに限られていた。

「カラやカフスと同じ事さ。汚れたのを用いるくらいなら、一層《いっそ》始《はじ》めから色の着いたものを使うが好《い》い。白ければ純白でなくっちゃ」

 こういわれてみると、なるほど先生は潔癖であった。書斎なども実に整然《きちり》と片付いていた。無頓着《むとんじゃく》な私には、先生のそういう特色が折々著しく眼に留まった。

「先生は癇性《かんしょう》ですね」とかつて奥さんに告げた時、奥さんは「でも着物などは、それほど気にしないようですよ」と答えた事があった。それを傍《そば》に聞いていた先生は、「本当をいうと、私は精神的に癇性なんです。それで始終苦しいんです。考えると実に馬鹿馬鹿《ばかばか》しい性分《しょうぶん》だ」といって笑った。精神的に癇性という意味は、俗にいう神経質という意味か、または倫理的に潔癖だという意味か、私には解《わか》らなかった。奥さんにも能《よ》く通じないらしかった。

 その晩私は先生と向い合せに、例の白い卓布《たくふ》の前に坐《すわ》った。奥さんは二人を左右に置いて、独《ひと》り庭の方を正面にして席を占めた。

「お目出とう」といって、先生が私のために杯《さかずき》を上げてくれた。私はこの盃《さかずき》に対してそれほど嬉《うれ》しい気を起さなかった。無論私自身の心がこの言葉に反響するように、飛び立つ嬉しさをもっていなかったのが、一つの源因《げんいん》であった。けれども先生のいい方も決して私の嬉《うれ》しさを唆《そそ》る浮々《うきうき》した調子を帯びていなかった。先生は笑って杯《さかずき》を上げた。私はその笑いのうちに、些《ちっ》とも意地の悪いアイロニーを認めなかった。同時に目出たいという真情も汲《く》み取る事ができなかった。先生の笑いは、「世間はこんな場合によくお目出とうといいたがるものですね」と私に物語っていた。

 奥さんは私に「結構ね。さぞお父《とう》さんやお母《かあ》さんはお喜びでしょう」といってくれた。私は突然病気の父の事を考えた。早くあの卒業証書を持って行って見せてやろうと思った。

「先生の卒業証書はどうしました」と私が聞いた。

「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生が奥さんに聞いた。

「ええ、たしかしまってあるはずですが」

 卒業証書の在処《ありどころ》は二人ともよく知らなかった。

[#5字下げ]三十三[#「三十三」は中見出し]

 飯《めし》になった時、奥さんは傍《そば》に坐《すわ》っている下女《げじょ》を次へ立たせて、自分で給仕《きゅうじ》の役をつとめた。これが表立たない客に対する先生の家の仕来《しきた》りらしかった。始めの一、二回は私《わたくし》も窮屈を感じたが、度数の重なるにつけ、茶碗《ちゃわん》を奥さんの前へ出すのが、何でもなくなった。

「お茶? ご飯《はん》? ずいぶんよく食べるのね」

 奥さんの方でも思い切って遠慮のない事をいうことがあった。しかしその日は、時候が時候なので、そんなに調戯《からか》われるほど食欲が進まなかった。

「もうおしまい。あなた近頃《ちかごろ》大変|小食《しょうしょく》になったのね」

「小食になったんじゃありません。暑いんで食われないんです」

 奥さんは下女を呼んで食卓を片付けさせた後へ、改めてアイスクリームと水菓子《みずがし》を運ばせた。

「これは宅《うち》で拵《こしら》えたのよ」

 用のない奥さんには、手製のアイスクリームを客に振舞《ふるま》うだけの余裕があると見えた。私はそれを二杯|更《か》えてもらった。

「君もいよいよ卒業したが、これから何をする気ですか」と先生が聞いた。先生は半分縁側の方へ席をずらして、敷居際《しきいぎわ》で背中を障子《しょうじ》に靠《も》たせていた。

 私にはただ卒業したという自覚があるだけで、これから何をしようという目的《あて》もなかった。返事にためらっている私を見た時、奥さんは「教師?」と聞いた。それにも答えずにいると、今度は、「じゃお役人《やくにん》?」とまた聞かれた。私も先生も笑い出した。

「本当いうと、まだ何をする考えもないんです。実は職業というものについて、全く考えた事がないくらいなんですから。だいちどれが善《い》いか、どれが悪いか、自分がやって見た上でないと解《わか》らないんだから、選択に困る訳だと思います」

「それもそうね。けれどもあなたは必竟《ひっきょう》財産があるからそんな呑気《のんき》な事をいっていられるのよ。これが困る人でご覧なさい。なかなかあなたのように落ち付いちゃいられないから」

 私の友達には卒業しない前から、中学教師の口を探している人があった。私は腹の中で奥さんのいう事実を認めた。しかしこういった。

「少し先生にかぶれたんでしょう」

「碌《ろく》なかぶれ方をして下さらないのね」

 先生は苦笑した。

「かぶれても構わないから、その代りこの間いった通り、お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらってお置きなさい。それでないと決して油断はならない」

 私は先生といっしょに、郊外の植木屋の広い庭の奥で話した、あの躑躅《つつじ》の咲いている五月の初めを思い出した。あの時帰り途《みち》に、先生が昂奮《こうふん》した語気で、私に物語った強い言葉を、再び耳の底で繰り返した。それは強いばかりでなく、むしろ凄《すご》い言葉であった。けれども事実を知らない私には同時に徹底しない言葉でもあった。

「奥さん、お宅《たく》の財産はよッぽどあるんですか」

「何だってそんな事をお聞きになるの」

「先生に聞いても教えて下さらないから」

 奥さんは笑いながら先生の顔を見た。

「教えて上げるほどないからでしょう」

「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか、宅《うち》へ帰って一つ父に談判する時の参考にしますから聞かして下さい」

 先生は庭の方を向いて、澄まして烟草《タバコ》を吹かしていた。相手は自然奥さんでなければならなかった。

「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮してゆかれるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜《い》いとして、あなたはこれから何か為《な》さらなくっちゃ本当にいけませんよ。先生のようにごろごろばかりしていちゃ……」

「ごろごろばかりしていやしないさ」

 先生はちょっと顔だけ向け直して、奥さんの言葉を否定した。

[#5字下げ]三十四[#「三十四」は中見出し]

 私《わたくし》はその夜十時過ぎに先生の家を辞した。二、三日うちに帰国するはずになっていたので、座を立つ前に私はちょっと暇乞《いとまご》いの言葉を述べた。

「また当分お目にかかれませんから」

「九月には出ていらっしゃるんでしょうね」

 私はもう卒業したのだから、必ず九月に出て来る必要もなかった。しかし暑い盛りの八月を東京まで来て送ろうとも考えていなかった。私には位置を求めるための貴重な時間というものがなかった。

「まあ九月|頃《ごろ》になるでしょう」

「じゃずいぶんご機嫌《きげん》よう。私たちもこの夏はことによるとどこかへ行くかも知れないのよ。ずいぶん暑そうだから。行ったらまた絵端書《えはがき》でも送って上げましょう」

「どちらの見当です。もしいらっしゃるとすれば」

 先生はこの問答をにやにや笑って聞いていた。

「何まだ行くとも行かないとも極《き》めていやしないんです」

 席を立とうとした時、先生は急に私をつらまえて、「時にお父さんの病気はどうなんです」と聞いた。私は父の健康についてほとんど知るところがなかった。何ともいって来ない以上、悪くはないのだろうくらいに考えていた。

「そんなに容易《たやす》く考えられる病気じゃありませんよ。尿毒症《にょうどくしょう》が出ると、もう駄目《だめ》なんだから」

 尿毒症という言葉も意味も私には解《わか》らなかった。この前の冬休みに国で医者と会見した時に、私はそんな術語をまるで聞かなかった。

「本当に大事にしてお上げなさいよ」と奥さんもいった。「毒が脳へ廻《まわ》るようになると、もうそれっきりよ、あなた。笑い事じゃないわ」

 無経験な私は気味を悪がりながらも、にやにやしていた。

「どうせ助からない病気だそうですから、いくら心配したって仕方がありません」

「そう思い切りよく考えれば、それまでですけれども」

 奥さんは昔同じ病気で死んだという自分のお母さんの事でも憶《おも》い出したのか、沈んだ調子でこういったなり下を向いた。私も父の運命が本当に気の毒になった。

 すると先生が突然奥さんの方を向いた。

「静《しず》、お前はおれより先へ死ぬだろうかね」

「なぜ」

「なぜでもない、ただ聞いてみるのさ。それとも己《おれ》の方がお前より前に片付くかな。大抵世間じゃ旦那《だんな》が先で、細君《さいくん》が後へ残るのが当り前のようになってるね」

「そう極《きま》った訳でもないわ。けれども男の方《ほう》はどうしても、そら年が上でしょう」

「だから先へ死ぬという理屈なのかね。すると己もお前より先にあの世へ行かなくっちゃならない事になるね」

「あなたは特別よ」

「そうかね」

「だって丈夫なんですもの。ほとんど煩《わずら》った例《ためし》がないじゃありませんか。そりゃどうしたって私の方が先だわ」

「先かな」

「え、きっと先よ」

 先生は私の顔を見た。私は笑った。

「しかしもしおれの方が先へ行くとするね。そうしたらお前どうする」

「どうするって……」

 奥さんはそこで口籠《くちごも》った。先生の死に対する想像的な悲哀が、ちょっと奥さんの胸を襲ったらしかった。けれども再び顔をあげた時は、もう気分を更《か》えていた。

「どうするって、仕方がないわ、ねえあなた。老少不定《ろうしょうふじょう》っていうくらいだから」

 奥さんはことさらに私の方を見て笑談《じょうだん》らしくこういった。

[#5字下げ]三十五[#「三十五」は中見出し]

 私《わたくし》は立て掛けた腰をまたおろして、話の区切りの付くまで二人の相手になっていた。

「君はどう思います」と先生が聞いた。

 先生が先へ死ぬか、奥さんが早く亡くなるか、固《もと》より私に判断のつくべき問題ではなかった。私はただ笑っていた。

「寿命は分りませんね。私にも」

「こればかりは本当に寿命ですからね。生れた時にちゃんと極《きま》った年数をもらって来るんだから仕方がないわ。先生のお父《とう》さんやお母さんなんか、ほとんど同《おんな》じよ、あなた、亡くなったのが」

「亡くなられた日がですか」

「まさか日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いて亡くなっちまったんですもの」

 この知識は私にとって新しいものであった。私は不思議に思った。

「どうしてそう一度に死なれたんですか」

 奥さんは私の問いに答えようとした。先生はそれを遮《さえぎ》った。

「そんな話はお止《よ》しよ。つまらないから」

 先生は手に持った団扇《うちわ》をわざとばたばたいわせた。そうしてまた奥さんを顧みた。

「静《しず》、おれが死んだらこの家《うち》をお前にやろう」

 奥さんは笑い出した。

「ついでに地面も下さいよ」

「地面は他《ひと》のものだから仕方がない。その代りおれの持ってるものは皆《みん》なお前にやるよ」

「どうも有難う。けれども横文字の本なんか貰《もら》っても仕様がないわね」

「古本屋に売るさ」

「売ればいくらぐらいになって」

 先生はいくらともいわなかった。けれども先生の話は、容易に自分の死という遠い問題を離れなかった。そうしてその死は必ず奥さんの前に起るものと仮定されていた。奥さんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答えをしているらしく見えた。それがいつの間にか、感傷的な女の心を重苦しくした。

「おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍《なんべん》おっしゃるの。後生《ごしょう》だからもう好《い》い加減にして、おれが死んだらは止《よ》して頂戴《ちょうだい》。縁喜《えんぎ》でもない。あなたが死んだら、何でもあなたの思い通りにして上げるから、それで好いじゃありませんか」

 先生は庭の方を向いて笑った。しかしそれぎり奥さんの厭《いや》がる事をいわなくなった。私もあまり長くなるので、すぐ席を立った。先生と奥さんは玄関まで送って出た。

「ご病人をお大事《だいじ》に」と奥さんがいった。

「また九月に」と先生がいった。

 私は挨拶《あいさつ》をして格子《こうし》の外へ足を踏み出した。玄関と門の間にあるこんもりした木犀《もくせい》の一株《ひとかぶ》が、私の行手《ゆくて》を塞《ふさ》ぐように、夜陰《やいん》のうちに枝を張っていた。私は二、三歩動き出しながら、黒ずんだ葉に被《おお》われているその梢《こずえ》を見て、来たるべき秋の花と香を想《おも》い浮べた。私は先生の宅《うち》とこの木犀とを、以前から心のうちで、離す事のできないもののように、いっしょに記憶していた。私が偶然その樹《き》の前に立って、再びこの宅の玄関を跨《また》ぐべき次の秋に思いを馳《は》せた時、今まで格子の間から射《さ》していた玄関の電燈がふっと消えた。先生夫婦はそれぎり奥へはいったらしかった。私は一人暗い表へ出た。

 私はすぐ下宿へは戻らなかった。国へ帰る前に調《ととの》える買物もあったし、ご馳走《ちそう》を詰めた胃袋にくつろぎを与える必要もあったので、ただ賑《にぎ》やかな町の方へ歩いて行った。町はまだ宵の口であった。用事もなさそうな男女《なんにょ》がぞろぞろ動く中に、私は今日私といっしょに卒業したなにがしに会った。彼は私を無理やりにある酒場《バー》へ連れ込んだ。私はそこで麦酒《ビール》の泡のような彼の気※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《きえん》を聞かされた。私の下宿へ帰ったのは十二時過ぎであった。

[#5字下げ]三十六[#「三十六」は中見出し]

 私《わたくし》はその翌日《よくじつ》も暑さを冒《おか》して、頼まれものを買い集めて歩いた。手紙で注文を受けた時は何でもないように考えていたのが、いざとなると大変|臆劫《おっくう》に感ぜられた。私は電車の中で汗を拭《ふ》きながら、他《ひと》の時間と手数に気の毒という観念をまるでもっていない田舎者《いなかもの》を憎らしく思った。

 私はこの一夏《ひとなつ》を無為に過ごす気はなかった。国へ帰ってからの日程というようなものをあらかじめ作っておいたので、それを履行《りこう》するに必要な書物も手に入れなければならなかった。私は半日を丸善《まるぜん》の二階で潰《つぶ》す覚悟でいた。私は自分に関係の深い部門の書籍棚の前に立って、隅から隅まで一冊ずつ点検して行った。

 買物のうちで一番私を困らせたのは女の半襟《はんえり》であった。小僧にいうと、いくらでも出してはくれるが、さてどれを選んでいいのか、買う段になっては、ただ迷うだけであった。その上|価《あたい》が極《きわ》めて不定であった。安かろうと思って聞くと、非常に高かったり、高かろうと考えて、聞かずにいると、かえって大変安かったりした。あるいはいくら比べて見ても、どこから価格の差違が出るのか見当の付かないのもあった。私は全く弱らせられた。そうして心のうちで、なぜ先生の奥さんを煩《わずら》わさなかったかを悔いた。

 私は鞄《かばん》を買った。無論和製の下等な品に過ぎなかったが、それでも金具やなどがぴかぴかしているので、田舎ものを威嚇《おど》かすには充分であった。この鞄を買うという事は、私の母の注文であった。卒業したら新しい鞄を買って、そのなかに一切《いっさい》の土産《みやげ》ものを入れて帰るようにと、わざわざ手紙の中に書いてあった。私はその文句を読んだ時に笑い出した。私には母の料簡《りょうけん》が解《わか》らないというよりも、その言葉が一種の滑稽《こっけい》として訴えたのである。

 私は暇乞《いとまご》いをする時先生夫婦に述べた通り、それから三日目の汽車で東京を立って国へ帰った。この冬以来父の病気について先生から色々の注意を受けた私は、一番心配しなければならない地位にありながら、どういうものか、それが大して苦にならなかった。私はむしろ父がいなくなったあとの母を想像して気の毒に思った。そのくらいだから私は心のどこかで、父はすでに亡くなるべきものと覚悟していたに違いなかった。九州にいる兄へやった手紙のなかにも、私は父の到底《とても》故《もと》のような健康体になる見込みのない事を述べた。一度などは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合せてこの夏ぐらい一度顔だけでも見に帰ったらどうだとまで書いた。その上年寄が二人ぎりで田舎にいるのは定《さだ》めて心細いだろう、我々も子として遺憾《いかん》の至《いた》りであるというような感傷的な文句さえ使った。私は実際心に浮ぶままを書いた。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。

 私はそうした矛盾を汽車の中で考えた。考えているうちに自分が自分に気の変りやすい軽薄もののように思われて来た。私は不愉快になった。私はまた先生夫婦の事を想《おも》い浮べた。ことに二、三日前|晩食《ばんめし》に呼ばれた時の会話を憶《おも》い出した。

「どっちが先へ死ぬだろう」

 私はその晩先生と奥さんの間に起った疑問をひとり口の内で繰り返してみた。そうしてこの疑問には誰も自信をもって答える事ができないのだと思った。しかしどっちが先へ死ぬと判然《はっきり》分っていたならば、先生はどうするだろう。奥さんはどうするだろう。先生も奥さんも、今のような態度でいるより外《ほか》に仕方がないだろうと思った。(死に近づきつつある父を国元に控えながら、この私がどうする事もできないように)。私は人間を果敢《はか》ないものに観じた。人間のどうする事もできない持って生れた軽薄を、果敢ないものに観じた。

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底本:「こころ」集英社文庫、集英社

   1991(平成3)年2月25日第1刷

   1995(平成7)年6月14日第10刷

初出:「朝日新聞」

   1914(大正3)年4月20日〜8月11日

※誤植の修正は「漱石全集」岩波書店を参照しました。

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:j.utiyama

校正:伊藤時也

1999年7月31日公開

2010年10月31日修正

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